2.27.2011

大学が、謝りに出てくる必要はあるのか?

バス横転事件で、「学生が重大な事件を起こして申し訳ない」といって大学が謝る。
そんな必要あるんだろうか?

日本は組織に責任を求めすぎている気がする。
大学生とはいえ、大学3年生ともなれば立派な大人だ。

そんな大人の生活指導を、大学がする必要があるんだろうか?
そんなところに予算を割くなら、充実した教育や研究のために費用を使うべきだ。

大学は、幼稚園じゃない。
学生がしたことの責任を大学が感じる必要があるのは、大学として誤った教育を施していた時だけで十分だろう。

それだのに、どうしてこうやって記者会見まで開いて、謝る必要があるんだろうか?
そんな無意味なことはよせばいい。

「悩みは聞いていない」なんて当たり前だ。
優秀な学生であるなら尚更、大学はそういう人生相談をする場じゃないことぐらい理解している。

もし「悩みを把握していない」として釈明する人たちが居るとすれば、それは親兄弟、そして友人の類だろう。
大学として学生一人ひとりの悩みまで把握するような、そんなところに予算は使ってほしくない。

一人の大人が起こした事件だ。
就職前の学生だからって子供扱いする必要はない。
ましてや留学経験もあって、留学するという判断も自分でできて、農学分野で活発に議論を交わせるほどの大人だ。
大人の責任は、大人自身が負うべきだろう。
大学が誤った道筋に導くような教育を施していないのなら、大学が出てきて釈明する必要はないと、新聞記事を読んで思ったのでした。

2.25.2011

読書。

今月3冊目。
2月は3日ぐらい他の月より少ないけど、3冊ペースは守れた感じ。
読んだのはコレ。




先日地球帰還を遂げて大いに国内を沸かせてくれた「はやぶさ」の話。
でも、肝心のはやぶさがでてくるのは全9章中、最後の2〜3章だけ。

あとは日本の宇宙研究の歴史的な所にページが割かれている。
加えて、タイトルにはやぶさを冠しながらも、はやぶさに関する記述は時間と状況を箇条書きにしたような、実にお粗末な物。
記録としてはいいのかもしれないけれど、読み物としては今ひとつかな。

はやぶさの飛翔は映画にもなるそうだけれど、僕は一足先にプラモを買っていて、その予備知識としてはやぶさのことを知っておこうと本書に手を伸ばした訳だけれども・・・・・・。

宇宙研の歴史――ペンシルロケットからはやぶさまで――とかなら、内容にも文句はなかった。
でも、本書のサブタイトルになっている不死身の宇宙機の不死身たる様子はほとんど感じられなかったし、宇宙研の研究のやり方のほうに感心させられてしまった。

確かに情緒たっぷりに、情感を込めて文章にする必要はなくとも、時間と状況を書き連ねていくだけではやぶさの成果を知らせようと思うなら、参考資料の提示だけで十分だったはずで、本にまでする必要はないし、なによりそれこそJAXAの広報がやれば十分な仕事だったろうと思う。

冒頭にサイエンスがイトカワ特集になったという栄誉ある出来事が書かれているが、ここで発表された論文についてもほぼノータッチ。
具体的にどういう論文が集まって、サイエンスを独占するほどになったのかぐらいは書けたんじゃないかと思う。

「はやぶさ」をすごく期待して買った本だったから、落差が大きかったのかもしれない。
それでも宇宙研の歴史や糸川博士の哲学には感服させられるところが多くて、ためになる本だったと思う。
「システムは焼き鳥の串だ」という同博士の言葉が、本書で一番印象に残った一言でした。

2.20.2011

南極海での調査捕鯨を見直す時期に来てるんじゃないだろうか。

シー・シェパードの妨害行為で南極海での調査捕鯨活動が中断されることになったというニュースを読んでいて、そろそろ見直しの時期なんじゃないだろうかと思えてきた。

もちろん、武力によるテロ行為は許されるべきものではないけれど、それは今回議論したい問題の本質と異なる。
議論したいのは、本当に南極海での調査捕鯨が必要か?とういう事。

鯨の生態というのはまだよくわかっていなくて、一定の調査が必要なのは十分に理解できる。
科学的調査への影響が云々〜という理由ももっともなものだと思う。

じゃあ、これまでの研究成果でどれくらい鯨の生態がわかってきたんだろう?
それは、調査捕鯨として調査するに値する価値のある成果だったろうか?
科学的調査云々なのに、文科省がダンマリを決めていて、いつも出てくるのは農水省なのはなんでだろうか?
科学的価値が十分にある調査捕鯨ならば、その調査捕鯨を必要としている科学者がもっと声をあげて、いかに優れた成果をもたらしている調査なのかを国民にアピールするべきだろう。

でも、実際にはそれはなされていない。
聞こえてくるのは政治家の嘆き、反捕鯨団体の意見、そして自衛隊に護衛させろという右翼の意見。
科学的にこれだけ価値のある調査なんだ!という声が聞こえてこない。

たとい価値のある調査だったとしても、それが専門家の間だけで価値の議論がなされているとすれば、国民に対して広く成果を知ってもらって、協力してもらおうという主張が無いとすれば、それはその人たちから発せられている、(南極海での調査捕鯨を)国民に理解してもらう必要はない、世論の支援を必要としていないというひとつの応えだと思う。

だとすれば、僕の意見はひとつ。
「南極海まで出ていっての調査捕鯨は不要だ」というもの。
南極海まで出ていってと書いたのは、逆に日本近海での捕鯨はすべきだと思うからだ。

例えばザ・コーヴで製作者側が主張した鯨肉食による水銀被害。
これは、捕鯨をしている市区町村と研究者が一緒になって調査して、早い段階で科学的な論拠と安全性に関する報告を(安全ありき、危険ありきでなく、本当に科学に忠実に行なって)明らかにするべきだと思う。

南極海まで出ていっての調査捕鯨には多額のお金がかかっている。
ならば、そこから得られる、その活動の主目的に大しての成果が十分投資に見合うものでなければ辞めるべきだ。
そんなのは経営の素人でも、政治の素人でもわかる。

科学はそんなに早く成果が出るものじゃないという反論もあるかもしれない。
でも、調査捕鯨はもう10年以上続けている。
10年以上続けて、国民に声を大きくして知らせられるだけの成果が上がっていないなら、それは仕分けられて当然じゃないんだろうか。

国民の関心を集めているロケットだって、理学の基礎研究だって、10年やったらその次の成果、目的に向けて再度議論するだろう。でも、様々な文書を読んでも、調査捕鯨はずっと同じことを続けているように見えてならない。十分と言える資料が集まっているならば、反捕鯨国を納得させられるだけの科学的論拠を出す作業に、どうして移行できてないんだろうか?

今回の一件は、本質的・根本的議論なしに、敗走してきた、逃げ帰ってきたとか、来季もまだ続けるつもりだとか、調査捕鯨がもたらした科学的成果の例を上げて、それを投入したお金に照らし合わせることもしないで科学的調査が妨げられるのは残念だとコメントを出してみるとか、どうしてそう不毛なことばかりしているんだろうと思えて仕方がない。

捕鯨問題に詳しいわけではないけど、ニュース報道を読んで、資料をざっくり漁ってみてそう思ったのでした。
(調査捕鯨の副産物である鯨肉やその流通にばかり議論が行くのもおかしいと思ってます。もちろん、そういう裏がある調査なのは理解してますけど、大義名分を掲げている以上、反捕鯨団体だって、反捕鯨国だってマスコミ各社だって、そこを真正面から叩くべきです。)

2.19.2011

ニコニコ動画の広告の出し方について

ちょろっと思ったので書いておく。

ニコニコ動画では、動画を再生する前に、コメント欄の上に覆いかぶさる形で広告が表示される。
この広告の内容、もっと工夫できないものだろうか?

例えば今私のところに表示されているのは、18キロのダイエットに成功という内容の広告。
私は20代男性として登録しているハズなのに、こんな広告を出す意味がどこにあるんだろうか?
年齢やら性別やら居住地やらを設定しているわけで、しかも視聴履歴という情報を保持できているわけだから、広告ソリューションとしてそれらを利用しない手はないと思うのだが、実際にはそういったマッチングはされていないんだろうか?

プライバシポリシー等の観点から、広告主側にその情報を公開することは難しいし、場合によっては許されるべきでないと思うけれども、ユーザと広告をマッチングさせる立場としては、そういった情報に合わせた適切な広告を表示するほうが収益も上がるだろうし、もっと良い運営につながるんじゃないかと思う。

更に言えば、小学生や中学生の利用者がダイエットの広告なんて見たらどう思うだろう?問題になっている成長期からのダイエットを助長する形になっていると取られてしまうかもしれない。

また、性的な想像を駆り立てるような広告や金貸しの広告をそういった年齢層で登録しているユーザに対して表示していたとしたら、これは問題になるだろう。(その辺はきちんと配慮していると信じたい)

加えて、ここに表示される広告は動画との関連性も低い。
例えばゲーム系の動画であれば、ダイエットの広告よりもオンラインゲームの広告のほうがユーザにマッチしていると言えないだろうか?
歌ってみた系の動画ならば、携帯電話が安くなるという広告よりも、カラオケ屋の広告のほうがマッチしていると言えないだろうか?

今のニコ動には、そういったマッチングがまったく成されていないように思う。
単に広告の表示場所で広告料が異なる。それだけの話じゃないかと感じてしまうのだ。
(確かに、バナーの内容にはニコ動を意識した作りのものが多く、サイトのデザインや雰囲気にマッチさせようという努力は見られるが、ユーザにマッチさせるほうが広告効果としては高いと思う)

何でもいいから依頼された広告を出すというのは、古いウェブサイト運営のやり方な気がしてならない。(例えばちょっと前までよくあったレンタルホームページスペースの広告の出し方なんていうのは、これによく似ていたと思う。)

情報をせっかく握っているのに、その使い方が下手くそ。
ニコ動の広告表示を見てそんな風に思ったのでした。
(アカウント情報をそういう事に使われるのが嫌な人も居るだろうというのは、また別の話。)

2.17.2011

読書

フェルマーがとても良かったので、サイモン・シンの著書を読んでみました。
今回読んだのは暗号解読。

数学的解説や量子論周りの物理的解説はさすがにわかりやすく、フェルマーの時のワクワク感を踏襲していました。

ぼんやりと未知の言語に惹かれるそれは、暗号に惹かれるそれと同じなのかなぁと思ってみたり。





下巻末にある読者への挑戦状とする暗号も子供だましではなく、そこまで書籍中で解説していた知識を総動員しながら解読しても、中々解くのは難しいと思う。
(残念ながら邦訳が出た時点では既に解読されていて、賞金は無いが、賞金以上に暗号を解く楽しみをたっぷり味わえる一冊だと思う。)
補遺も細部に渡って解説がなされていて、暗号に興味があるならば読んでおくべき一冊だと思う。

奇しくもヴィオニッチ手稿の年代測定が成された所だということで、サイモン・シンの暗号解読を読んだ勢いで、ヴィオニッチ手稿にチャレンジしてみるのも良いんじゃないかと思ってしまった。

(あと、Gmailを使っていて、PGP系の暗号化を手軽に使う手法があまり無いってことに気づいて、ちょっと背筋が寒くなった。それほど重要な情報はやり取りしてないけど、ブラウザ経由をやめて、メーラ経由でGPGを咬ませてメールするべきなんだろうなぁ。)

2.13.2011

再帰でつまずく。


自分でもいまさら〜?と思ってしまったけど、つまずいてます。

先日からF#をまともに使えるようになりたくて、それなら・・・とOCamlのお勉強からスタートしているんですが、ペアと再帰を組み合わせたときの動きがスパっと理解できなくて難儀してます。

直感的に理解できるようになるには、もっと常日頃から使わないとダメなんだろうなぁ。
各種のUNIX的なコマンドを書くという、ありがちな練習からしたほうがいいのかなぁ。

これまでLispだのCだので当たり前のように再帰を使っていたのに、ここでつまずくとは・・・。
難しい。(-_-;)

2.11.2011

久々に焦った。

別に仕事がどうこうとか、身内になにかがあってとかじゃなく、Xが起動しなくなって焦ったという話。 いつまでも放置しておくわけにはいくまいと、aptosidをアップグレードしたのがはじまり。 復旧まで1日ぐらいかかっちゃった。 やっぱりDebianのStableリリースは、いろんなところに影響があるのかねぇ。

2.08.2011

ファイルの暗号化

色々重要な情報をPC内に蓄積していくと、情報の漏洩が心配になる今日この頃。 漏れたり盗まれたときに悪用される嫌なメモについて、暗号化する方法を調べたのでメモ。 日記の暗号化とか、家計簿の暗号化とか、色々応用できそう。(テキストデータ以外でもいけるんじゃないだろうか) 使うのはbcryptコマンドblowfishアルゴリズムで強力に暗号化してくれる。 直接暗号化しちゃうコマンドとしても使えるけど、僕は標準出力に出してリダイレクトするのが好き。 リモート環境でやるのはあんまりおすすめできないけど、ローカル上で閉じてるなら、うっかり元ファイルを削除しちゃうことも無くて良いんじゃないかと思う。 コマンドは
bcrypt -o 暗号化したいファイル名 > 暗号化後のファイル名.bfe
で、暗号化後のファイル名は必ず.bfe拡張子を持たせる。(別に他の拡張子を持たせて、復号化の時だけbfeにしてもいいんだろうけど。) コマンドを打つと、暗号化の鍵となるPasswordを求められる。 適度に長く、記号や数字を含んでいて、他人には推測されにくいものにするという、普通のPasswordの規則を守っていれば、どんなものでもいい。 Againプロンプトに同じPasswordを入力して入力ミスがなければ、無事に暗号化される。 デコードは
bcrypt -o 復号したいファイル名.bfe > 復号化後のファイル名
とかする。 復号に使う鍵は先ほど入力したPassword。 複数のファイルで同じPasswordを使うには抵抗があるものの、どれもこれも別々にすると、忘れてしまいそうで怖いというのが悩みどころ。 複数ファイルを一括で暗号化してしまうのもアリだと思うけど、関係ないファイルについてまとめるのにも抵抗があるという・・・・・・。まぁ、暗号化しなくちゃいけないような情報をあんまり抱え込むのもよくないという事。 ちなみに、僕の場合は短いテキストを暗号化していることが多いので、一々ファイルを作らずにそのまま標準出力に出して眺めて使っている。 ccryptなんかと類似のコマンドだけど、個人的にはコレが好き。 たぶん今後も暗号化を利用することが多いと思うのでメモ。

うーむ。

Debian GNU/Linux 6.0 SqueezeがStableに落ちた影響が、若干sidにも出ている様子。 特にXまわりで大幅なパッケージの再編成があるっぽい。 (apt-get dist-upgradeの様子を見ただけで、実際にMLなんかを読んで判断しているわけじゃないけど) ちょっと怖いから、落ち着くまではdist-upgradeかけないようにしようと思う。 週末あたり・・・・・・トライしてみようかな。

2.05.2011

メディア芸術祭いってきました。

毎年行ってる文化庁メディア芸術祭に行ってきました。
今年は台湾出張と重なって無理かな?と思ってたけれど、運良く帰国できていたので。

で、感想ですが、なんだか宣伝的な色がますます強くなっていると感じたのと、年々作品数は増えているものの、おお!と思うような作品は減っている感じがするといったところでした。

どうもこう、イマイチ感が拭えないメディア作品ばっかりで、既視感というか、新しさというか、そういうのを感じられなかった(特に今年はその感じが強かった)と思いました。

せっかく海外向けにもMADE IN JAPANのメディアアート作品をアピールできる場なのに、とっても残念。
こんな調子じゃ、事業仕分けで仕分けられちゃうんじゃないだろうか。

2.01.2011

遊園地の転落事故の話。

色々報道されて、コメンテーターなる人がコメントして、あちこちで「あーだこーだ」と議論されてるみたいだけど。

なにより僕が気になっているのが、「安全バーがきちんと閉まっていない状態で運転可能なシステムを採用している」というトコロ。

今日日たかだか工業製品を作るのだって、製品にダメージを与えそうなところは徹底的に潰されて、ライン自体が動かないようにガチガチに縛られるのに、人命に関わる遊具でそういう措置がされていないってどういうことなんだろう?と。

このコースターの設計やら製造を担当した企業は一切出てこないで、管理してる会社の事ばかり報道されてさ。
確かに管理にダメな点があったのは事実だろうと思う。

でも、機械やコンピュータを使う以上、そういった人間の怠慢や不注意を止める仕組みが備わっていて然るべきだろうと思う。
少なくとも、今回のケースで言えば、他の客は転落していない訳だし、他の遊具では事故が発生していないわけだから、管理会社や従業員が、特別不注意だったとか、責められるほど安全管理が行き届いていなかったとは言えないんじゃないかと思う。

バイトの女の子が安全バーをチェックせずなんて新聞は書いてるけど、チェックしてたら大丈夫だったのか?というと、これも疑問だと思う。触ってのチェックなんて、どのぐらいの力でチェックしたかなんていう数値化が難しいわけだから、あくまで最終確認として使われるべきだろう。
(チェックした上で落ちてたなんて事になってたら、どうするつもりだったんだろう?「安全管理は十分でした」で終わり?そうはいくまい。人間がチェックすれば大丈夫?そんな訳ないだろうと思う。左右を確認して横断歩道を渡っても、交通事故に合う人は居るんだ。)

であれば、その前の段階で、「バーがきちんと閉まってませんよ〜!」と警告を出すシステムがなぜ備わっていなかったのか?なぜバーがきちんと閉まっていなくても発信できるコースターが、安全基準を満たしている遊具なんて言えるんだろうか?
そんな製品を作っている企業が、こうして報道される管理会社の裏に隠れているとしたら、そっちの方が由々しき事態だと思う。(管理会社が製品づくりまで全部やってるとしたら、やっぱり管理会社が責められるべきだと思うけど。)

報道は、みんな横並びじゃなくて、そういうところを見なおしたほうが良いと思う。
ちょいとばかりネットで記事を斜め読みして、そんなふうに思ったので書いてみました。